日本有数のニット産地、和歌山
明治時代より培われた 和歌山の高度なニット製造技術
紀州肌着は、山と海に囲まれた自然豊かな和歌山生まれ。何故和歌山?と思う方もいるかもしれませんが、実は和歌山は日本の有数のニット産地なのです。
和歌山のニット産業は、明治42年(1909年)、和歌山市小野町に導入された5台のスイス製の丸編機が起源で、その後、生産は急速に拡大。大正8年(1919年)には丸編ニット生地の生産シェアにおいて大阪を抜いて全国1位になりました。
現在も、丸編ニット生地生産(国内生産)の約37%を和歌山が担っており、全国シェア第1位(※)を誇ります。(※出所:経済産業省 製造品に関する統計表(平成26年工業統計表「品目編」データ))
幾つもの苦難を乗り越えて
100年を超える歴史のある和歌山ニット産業ですが、これまでにはいくつもの苦難の道がありました。
1945年(昭和20年)の和歌山空襲により総設備台数の20%が被害を受け、戦後復興後も昭和30年代にはほとんどの業者が裏毛メリヤス(肌着)の生産を打ち切り、活路をインナーからアウターへ求めて業態転換を行いました。
その後ジャージー生地(合繊ニット)ブームも手伝い活況を取り戻したのも束の間、1973年(昭和48年)の第2次オイルショックで綿糸相場が1/3に暴落。生産量も30%以上減少します。
それでも1979年(昭和54年)のトレーナーなどの裏毛ブームで一時全国シェア50%まで挽回しますが、過剰設備による過剰生産が引き起こした価格の下落、グローバル化の進展により産業構造に変化が起こり、海外からの安価な輸入品が市場を席捲するようになりました。
多様性の進化 そして、日本から世界へ
和歌山ニット産業は、実はその多様性に特徴があります。
アウターニット生地を得意とする企業。
インナー用途を得意とする企業。
スポーツウエアのテキスタイルを得意とする企業。
高い生産性と短納期で海外に負けない世界で勝負する企業。
ゆっくり丁寧に編みたてることで、とことん生地の風合いにこだわる企業。
ヨーロッパを中心にMADE IN WAKAYAMAを徹底的に売り込みをかける企業。
国内のコアなファンに特化した集中戦略で生き残りをかける企業。
この多様性と、そしてその企業連携、企業連合で、グローバルな視野を備えた「企画提案型産地」へと転換を目指す。これが和歌山ニット産業の現在の姿です。